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シリーズ「卒業生は今」 ファイルNo. 007 金田さん編

2013年06月07日(金)


【お名前】 金田 未来さん
【卒業時期】 2008年 コミュニケーション科卒
【部活歴など】 写真部・応援団部

【Q1: 母校は創立50周年を機に、変わりつつあります。
 ご存知ですか?】

A1: 2005年に入学、2008年に卒業しました。「母校は校名変更だよ!」と友達から聞かされ、まず自分の母校が無くなるのではと正直イヤでしたね。その後、新聞などニュースでも、その変わりゆく母校を実感しました。
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シリーズ「卒業生は今」 ファイルNo. 006 穴井さん編

2013年05月28日(火)


【お名前】 穴井 浩さん 53才
【卒業時期】 16期普通科卒業
【部活歴など】 合気道

【Q1: 母校は創立50周年を機に、変わりつつあります。 ご存知ですか?】
A1: S54年に卒業しましたが、いま思い出しても大森先生(後に甲府校へご栄転)には大変お世話になりました。 その後の母校との縁は残念ながら有りませんでした。
校名変更は近年どの学校でもですので、寂しいですが時代の流れと見るべきでしょう。
母校はOBのつながりが弱い気がしますので、創立50年を機にその部分の改善に期待したいものです、私もOBの一人として、取り組みが見える様お手伝いもしますよ。
学校側の協力も必要なのは、各部活のOB会も監督の入れ替わりなどで、断層があり集まりに欠いています。 それを現在の部活担当教諭・部活保護者会・同窓会が三位一体になり、改善すると新たな歴史が出来ますね。
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シリーズ「卒業生は今」 ファイルNo. 005 佐藤さん

2013年04月16日(火)

【お名前】 佐藤 友紀さん
【卒業時期】 S47年10月11日生まれ 41歳
【部活歴など】 なし
【Q1: 母校はどんどん変化していますが、お知りでしたか?】
 ハイ、TVのCMや当時にお世話になった先生らから、50周年を迎えた事はお聞きしました。 ただ卒業生や元教員などにも、校名変更などは事前の周知期間が、欲しかったとの声は多いですよ。 母校が無くなったかとも思いますよね。
 
【Q2: あなたは母校でどんな学生でしたか?】
 最後の3年生の時は、体育祭で応援団長をしました、その事はいまでも良き思い出になっています。 当時10名ほどの応援団メンバーで、お金を出し合いビデオにも残したぐらいですから。
 しかし、学生時代はよく先生からコツンと殴られていましたね。
今でもそんな生徒思いの、先生は居られますかねぇ。 
制服の乱れなどでよく、生徒指導のH先生やI先生などに。
昨日のように思い出しますね。

【Q3: あなたの卒業後の人生は?】
 卒業後、東京にあるパン専門学校に通いました。 その後2年間は大阪で修業し、帰省しました。 この店「ベッカライ ブロートハウス」は3年前からで、毎日焼き立てのパンや焼き菓子を出しています。 中でもおすすめが「レトロバケット」(180円/本)で、母校の体育科先生O氏も週数回、お買い求めにお越しになっています。
このバケットは私の自信作で、仏国のアルザスの職人から大絶賛の「ベタ褒め」を頂き、そのパンに「SATOU」と名前を付けてまでくれたのには、本当に喜びと感動でした。
 県のパン屋協会「KSB」の会長も5年していました。
美味しいコメが取れる郷土では、パンの消費が伸びません。 そのため毎年14から15店舗が集まって、パンの消費拡大のPR活動もして来ました。
手作りの良さを追求して、今日に至っています。

【Q4: ご趣味などは?】
 奥さんと13歳の娘がいます。 一人で行く温泉は最高です。
まだ娘が小さいですから、仕事ばかりでもっと頑張らないといけませんね。

【Q5: 同窓会(クラス会)はやってますか? 幹事さんは誰ですか?】
 残念ながら母校では同窓会も、クラス会も全くしていません。
母校の卒業生らは、町の中では様々な職業で頑張っていますよ。 
要は世話人がいないのが母校ですね、誰かその音頭を取ってくれる、リーダーがいればOB・OGらの、多くが参加してくれると思いますよ。 
団結力が無い母校ではイヤですからね、先生・卒業生・保護者、そして生徒ら皆が他校に負けない連帯感を、作り上げてゆくと如何でしょう。
毎年同窓会の方でOB達が集まる場所を作って欲しいのです。 
その時は私も、みんなに声掛けして集まりますよ。 

【Q6: 母校の学び舎で頑張る現役生徒にひとこと】
 高校3年間で、是非自分で決めた目標や目的を、人の意見に左右されない部分で、持ってほしいですね。 そして今は生徒達、先生を舐め切っています。 
そしてしないでも良い「退学者」を、多く出してもいると聞きます。 それを防ぐのもクラスの仲間ですし、熱血教師の先生たちですので、守るものを作り合いましょう。
 自分の高校生活の思い出は、「自分がつくる」の気持ちで頑張れと、エールを送ります。

【取材感想】
 本インタビューで、佐藤さんはお譲様の通う学校などでも、「食育学習」などに協力されて居り、学校側との関係も、とても良く継続協力してるとの事でした。 
私から是非、今後に予定する母校の「先輩学講座」にも、ご参加を頂けるようお願いしました。
佐藤さんからは、次のインタビュー対象者のご推薦まで、ご協力頂きました。
焼くパンの香りの中、白い作業着がよく似合う、まさに職人さんの雰囲気の佐藤さんでした。
あなたも一度、佐藤さんの手作りの「レトロバケット」の味を、ご賞味されませんか。
お店は楠通りの肥後銀行交差点の角地にあります、どうぞお立ち寄りを。
聞き手:谷川政敏(同窓会事務局次長)
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シリーズ「卒業生は今」 ファイルNo. 004 奥村さんと渡邊さん

2013年03月27日(水)

【お名前】 兄・・・奥村信幸(48才)
妹・・・渡邊眞由美(旧姓:奥村、44才)
【卒業時期】 兄・・・21期普通科卒
妹・・・24期普通科卒
【部活歴など】 兄・・・野球部からヤクルトに行った者もいます、しかし私は残念な
        事に肩を壊しバレー部でした。
妹・・・部活は全然、帰宅してはお稽古事をいろいろの日々でした。


 【Q1:今、母校は大きく変わりつつありますが、ご存知ですか?】
家業の卵の配達で、時々母校の前を通りますが、校舎は綺麗になり素晴らしいサッカーコートまで・・・・・
今の生徒たちは素晴らしい環境で、うらやましいですよ。
(信幸さん)そう言えば、私の3年の時あの六角の総合体育館が完成しました。
【Q2:どんな学生生活でした?、また母校にどんな思い出がありますか?】
(眞由美さん)兄も私もただただ二人とも真面目でしたよ。 あの体育の小渕先生からのゲンコツも免れましたから(笑)。 私は漫画のドカベンのファンでしたから、兄の毎試合や甲子園にも応援に行きましたよ。 あの頃の母校の野球部は強かったぁですね。
(信幸さん)あの頃は確かに強かった。 だから校長の松前達郎さんにも、「奥くん」で呼ばれていました、今ではいい思い出です。
(おかあさん)今はあんな熱血先生を見なくなりましたね。 我が家は全員が母校の大ファンで~す。 この子達の時に障害をお持ちの生徒さんの入学がありました。 しかも、やさしいです先生方の指導も最高で、教室移動時などにはクラスメイトの柔道部員を中心に、サポート役を毎日の3年間をしてくれ、当時はまだなかった「障害者トイレ」の設置などにもつながりましたよ。 誇らしい花○もので親の自慢ですよ。
【Q3:卒業後はどんな人生ですか?】
卒業後は、二人とも家業を継いで田崎市場内で「おくむら鶏卵」のたまご屋を、家族仲良くやっています。 実は母校OBのパン屋さんに、あの怖かった小渕先生が毎回買いに来てくれると聞きました。 やはり教え子が頑張る姿とその味を、ご確認されてるんですね。
【Q4:今のお仕事や趣味などをお聞かせください】
(おかあさん)弊社は創業48年、年間1000万個を販売しています。 しかし、昔主人が頑張る頃の1/6です。 今は量より安全・安心を重視し、ケーキ屋や結婚式場、外食店などに納めています。 3年前の全国植樹祭の食品選びで、地産地消が最良と弊社の卵が良いとお選び頂き、大変な名誉を賜りました。
(信幸さん)やはり野球が好きで、東海の同級生らと今も楽しんでいます。 私は野球で始まりまた野球に戻りましたよ(笑)
(眞由美さん)私はスポーツ観戦は昔から好きですが、今はもっぱら息子のサッカー観戦です(笑)
【Q5:クラス会などやっていますか?】
(信幸さん)本当の友達はいつも会っています、だからクラス会は全くしていません。
(眞由美さん)私は昨年8月に、当時の竹内先生(英語)の還暦祝いをしました。
          クラスの人達も、先生たちもいつまでも元気で活躍して欲しいですね。
【Q6:今、自分の母校で学ぶ後輩たちに一言】
(信幸さん)現役の生徒諸君、もっと私らOBを喜ばせる様、甲子園出場を期待していますよぉ。(インタビュー中に地元S校が甲子園戦で2:0での初戦突破が流れていました)
(眞由美さん)母校の女子は美人が多いのです、社会でも活躍し輝いている人も沢山居られますよ。 学生時代何にでも自信を持って、チャレンジして下さいね、応援しています。
【取材後記】
母校の卒業生は23000名に及びますので、まとめての取材を試みたのではなかったのですが、ここ奥村鶏卵様では偶然ご兄弟とも母校のOBさんでした。 
またまた、そこに熱烈な母校応援団のお母さん(68才)まで、参戦されました。(笑)
お母さんは我が子の成長を、いつも母校の門から見ながら、そこを通る生徒らにも声掛けし励ましていたそうです。
最後の最後までお兄さんの真面目な顔を崩されません(笑)
何んかぁ3人分取材した感じでしたが、常に明るい笑顔が返る、最高のインタビュータイムでした。
是非女子会での料理教室など、卵利用時は田崎の市場「奥村鶏卵」さんまで。

聞き手:谷川政敏(同窓会事務局次長)

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シリーズ「卒業生は今」 ファイルNo. 003 戸川さん

2013年03月22日(金)

【お名前】 戸川裕章(トガワ・ヒロアキ)
【年  齢】 34歳
【卒業期】 高校34期 普通科卒。
1年生・・・出田先生、2年生・・・草野先生、3年生・・・藤田先生


 【Q1:母校はどんどん変革の途にありますが、お知りでしたか?】
  ハイ、あの思い出多いY字校舎が、無くなったのは寂しいですね。 母校の創立50周年は転居もあり、学校からの連絡が取れないままでした。 今日をこの機会に、住所の変更をしないといけませんね。


【Q2:あなたは母校でどんな学生でした?】
  高校生活では部活にも参加せず、あの頃流行ったバンドを友達とでやっていましたね。
  現役の生徒さんには、もっと学内で多くの経験と人との交流を図ってほしいです。
  私の反省点からアドバイスしますよ。
【Q3:あなたの卒業後の人生は?】
  卒業後、いろんな仕事に付きました、その経験は無駄にはなっていません。
  広島にいた23才の頃、ボクシングのライセンスを取り、帰省し今のお茶屋に働きながら母校の卒業生が運営する本田フィットネスジムに入門し、半年でライセンスを取り直しました。ただ試合に出ましたが、残念ながらケガでその道を離れました。
【Q4:今の仕事や趣味などは?】
  人との交流が好きなので、町の活性化などに参加し商店街イベントなどやっています。
【Q5:同窓会(クラス会)はやってますか? 幹事さんは誰ですか?】
  残念ながらクラス会はしていません、世話人がいないのです。 ただ昨年クラスメイトの結婚式に10名ほどが参列しましたので、それをこれからに活かすべきですよね。
【Q6:母校の学び舎で頑張る現役生徒にひとこと】
  部活動は参加した方がいいですよ。 またクラスの仲間を3年間で増やしましょう、きっと社会に出て役立ちます。
【インタビューを終えて…】
本インタビューのスタートは、ボクシング経験者に似合わず、優しい好青年でした。
彼が勤務するお茶屋さんは、京町の付属小学校交差点の横にあります。
どうぞ、お茶のご用命は直接に・・・、彼の笑顔も見れますよ。

聞き手:谷川政敏(同窓会事務局次長)

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【8期】前田主良 演歌歌手『星川 春樹』

2012年11月02日(金)

東海大学付属第二高等学校 前田主良 【8期】


 

公式ブログはこちらです。
http://ameblo.jp/harukihoshikawa/

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【23期】広瀬文孝 演歌歌手『天 竜大』

2012年08月28日(火)

東海大学付属第二高等学校 1968年卒業 広瀬文孝 【23期】

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